--奈瀬1--
最近、私はそこそこ調子がいい。
来年は、院生を卒業しなきゃいけなくなる。
大学を受験しなかいと決めた私は、その事を親と話し合ったときに20歳でプロをあきらめるっていう約束を親としていた。
女でいつまで、棋士を目指してるんだ…って、父に言われて悔しくても反論ができなかった。
まだ、未成年で…、棋士しか目指してなかった私には、次の道なんて想像できない…。
(だから、今年にかける!)
後がないと思う気持ちが、今まで以上に私の集中力を上げてくれてる。
院生のときに一番仲良くしていた仲間たちは、もうプロなのだ。
(出遅れてなんて、いらんない…)
どんなに悔しいことがあっても、あきらめろといわれても…
(やっぱり、囲碁がすき。いい碁が打てたと思う間は…諦めたくない!!)
なのに、こんな大事な時期にプロの中で打てる機会がつぶれてしまって、その上勉強の時間も削られていて私は少しあせっていた。
(もー、なんだって、こんな時期にこんなことしてるわけ??)
今年は、予選免除だから少しのゆとりは持てたけど、本選まではあと2ヶ月しかないのだ。
(打って打って打っても足りないくらい…)
それなのに…
(あいつらったら、試験にも休みが必要だから、息抜きに劇に付き合ってくれ~ですって??)
院生の頃からの仲間である和谷を筆頭に、子供たちに向けて行う劇の手伝いを頼まれたのだ。
当然、一度は断ったのだ。だけど、この時期他の院生にも声がかけづらかったのだろう。
女流プロにあたれといっても、和泉の知り合いの桜野プロは海外に親善試合中。 他に女流で知り合いがいないというのだ。
(もー、甲斐性なしどもが!!!!)
無駄に顔がいいだけの彼らに、腹が立つ。 それでも、
『試験免除なんだし、セリフ短くするからさ、劇の日の1日と練習日を2日間だけでいいからさ!!頼む!!!!』
そう、院生の頃からの友人である和谷に頼まれ、進藤に拝まれ、和泉に謝られ…仕方なく引き受けたのだ。
「もう!女流がだめなら、友達でもお母さんでも頼めばいいのよ!!」
ツイツイ、声に出して和谷への文句が出てしまってはっとした。
目の前に人がいたからだ。
「あ…あの…こんにちは。」
一瞬眼を丸くしていた目の前の人物は、私があせって頭を下げるのをみて、ふんわりと微笑んだ。
「こんにちは。」
そんな風に笑いかけられるのは初めてで、顔が赤くなるのが分かった。
(やだ…タイプじゃないのに…)
流石は、囲碁界の王子様って言われるだけのことはあるなぁ…とその顔に見とれてしまっていると、彼・塔矢アキラは困ったような顔をして
「あの、奈瀬…さんでしたよね?」
そういって、首をかしげる。
「あ、ハイ。そうです。」
実は、私は塔矢アキラとは初対面じゃない。
和谷の研究会に、進藤が一度連れてきたことがあったからだ。
今じゃ、二人が仲がいいライバルってことは周知だけど、その頃は進藤が塔矢を連れてきたのには驚いたし、もっと驚いたのは…
(塔矢と進藤が一緒に住んでいるって聞かされたことよね…)
ライバル同士でやりにくくないのかって聞いたら、いつでも気兼ねなく打てて勉強になるって言われたのを思い出す。
そのときはそんななもんかなぁと思ったけど…
(やたら、塔矢が進藤に絡んでくるって気がして、気になるのよねぇ?) 私が、そのときのことを思い出していると、塔矢が
「奈瀬さん、今年は9月から?」
と聞いてきた。
案に、プロ試験の事だって分かったから、
「ええ、そうなの。」
私がうなずくと、彼はあごに手を当てるように不思議そうな顔をする。
「でも、大変なんじゃない?こんな時期に…劇のこと。」
彼が、そういうって眉を寄せるので私はハッとする。
『絶対に、周りには内緒な!!特に、塔矢!アイツには知られないようにしてくれよな!!!』
そう言っていたのは、進藤だ。
劇は子供のためだけにやるもので、冷やかしの大人たち(プロ)にこられたら芝居にならない…ということだったのだ。
「塔矢…プロ、なんでその事…?」
私が、訝しげにしていると彼はさわやかに笑うと
「進藤が…」
(あいつ~!!)
あんなに、黙ってろと言っていたのは自分なのに、簡単にバラスなんて!!!と、私が頭に来ていると
「奈瀬さん?」
と、横から声がかかる。
怒りに任せて、ついつい塔矢のことを忘れてたみたい。
「あ、ごめんなさい。」
私が謝ると、彼はまた笑って
「いや、いいよ。で、大丈夫なの?」
丁度愚痴りたい気分だった私は、ついつい彼に向かって溜まっていた不安と不平が口に出てしまう。
「実は、本当は困ってるの。ただでさえ、時間がいくらあっても足りないくらいなのに…練習…はそんなにないけどセリフを覚えたり…。」
「そうだよね。この大切な時期に…。」
私は、自分の思いに賛同してくれる彼に向かって大きくうなずいて
「そうなのよ!ただでさえ打つ時間が減るのに、貴重なプロであるあいつ等と打つ時間が全然ないの。今は、いつも以上に打ってほしかったのに。」
私が、悔しそうな顔で言うのをうなずきながら塔矢が
「そう…、キミは誰か指導碁についたりはしないの?」
「そうね。本当は、したいくらいなんだけど…中々いい人も…いたとしても、すごく高いし。」 ただでさえ、プロになることに反対の親に頼むことなどできない値段だってことは私だって分かる。
(だから、自分で勉強しなきゃいけないのよ)
そう思って、また奥歯をかみ締める思いでいると
「僕が、誰か探してみようか?」
「え?」
意外な申し出に、思わず聞き返してしまう。 塔矢が紹介してくれる…というのなら、もちろん塔矢門下だろう。 だとしたら、願ってもいないプロばかりがいるのだ。
「でも…」
「ああ、お金なら、気にしなくていいよ。」
「えっ??」
私は、あまりに都合のよ過ぎる、言葉に聞き間違いかと思って目を丸くした。
「僕の友達って事で、正式な指導碁の形じゃなくて…碁会所に来てもらうか…まぁ、簡単な席を考えるから。
」
つまりは、知り合いとして無料で打っていい…という事らしい。 ということに、気付いて私は唖然とする。
「でも…」
私が、塔矢の考えを諮りきれなくて戸惑った。 (もしかして、塔矢…私のことが好きとか?)
女性との浮いた噂など一つもない彼なのだ。
(もしかして、進藤に連れられていった研究会で私を見初めて…とか??)
私は、一瞬胸がどきどきして…赤くなって青くなった。
彼は理想的な王子様かもしれないが…
(でも…私…)
私が戸惑っていると、彼はそんな私の考えを察したように、慌てて私に笑って言った。
「気にしなくていいんだよ。奈瀬さんは、進藤の友達だから。」
そう言われて、私は妙に納得がいった。
(なぁんだ…)
和谷が言っていた言葉を思い出す。
『塔矢アキラは、自分に興味のない…自分より弱い棋士なんて覚えてないけど、例外があるんだぜ。それはな、進藤がらみの事ってな。』
それを聞いたときは、また和谷の塔矢嫌いが始まった…と思ったけど。
(なんだか、納得)
急に、肩の力が抜けて、なんだかおかしくなった。
でも、これが何のために申し込まれたことか分からないけど…私にとっては願ってもないチャンスであることには違いない。
(利用できるものは、利用させていただきますか!!)
進藤と塔矢…二人のことが気になるけど、今はそれどこじゃない。
私は目の前の自分の未来への道を開くために…腹を決めた。
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