7/2…イベント当日
--和泉1--
俺は慣れ親しんだ駅を降りて、棋院に向かう。
約束の時間より少し早く着いた。この道を、俺は何度来ただろう。まぶしい日差しの中、俺は昔のことを思い出す。
院生でナンバーワンでありながら、プロになれなかった二年間は特に思い出深い。 強さは、技術だけじゃない…それを改めて実感したのは、進藤との対決だっただろうか。
弱い自分は、自分自身に負けて…それでも、碁を捨てられなくて日本を離れた。
(でも、オレは帰ってきたんだ…。)
あまり変わらない、棋院への道のりを歩きながら、実感する。
(いつまでも、この道を歩き続けたいな…)
プロになれずに院生をやめた後の焦りを時々胸の中で反復する。
そのときの事を思うと、こうやってこの道を歩いていることが、奇跡のようで…とても幸せな事だって分かるから。
時々よみがえって来る、あの頃の感情は、今は感じていないことなのに昨日のことのように俺の胸によみがえってくる。その記憶は、今の俺を励まし叱咤してくれる。
(だから、俺はゆっくりでいいから…自分の碁を打っていきたい。)
人に迷惑をかけても心配をかけても、国を離れて寂しくても…それでも、碁を捨てられなかった。
(これから一生…きっと…)
俺は、そんな自分の考えにおかしくなりながら棋院の門をくぐった。
「あ〜、もぉ〜どーするよ??」
と、途端によく知った声の悲壮感に包まれた声に、俺は足を止める。
ロビーの休憩用のいすに、腰掛けた男が頭を抱え込むようにしてため息をついていて、その前で見知った顔が心配そうに首をかしげている。
「進藤!」
俺が話しかけると、立っていたほうの人物…進藤が振り向いて
「和泉さん」
と少し笑った。 その声にはじかれるように、頭を抱えてた方も顔を上げる。
「和谷、おはよう。」
思ったとおりの人物たちに、俺も笑いながら足を進めながら…彼らのあまりの表情の暗さに、少し驚いた。
「どうしたんだ?」
二人の前までくると、その顔を交互に見ながら、俺が首をかしげる。 と和谷が怒ったような顔をして
「奈瀬の奴が…これなくなったんだ。」
「え??」
俺は耳を疑った。 奈瀬は、今日の劇になくてはならない役だ。
紅一点といえる、奈瀬には試験前で忙しいのが分かっていながら織姫の役を皆で頼んでいたから。 …結局練習自体は、奈瀬の指導碁が入ってしまったため一日しかしてないが…
(それでも、織姫がいないよりは…)
遥かにましだ。
「急に指導碁を頼んでたプロの日程があいたらしいんだ…。」
奈瀬は誰とは明かさなかったが、昔からどうしても指導碁をしてほしかったプロのスケジュールが急遽あき、奈瀬が指導碁を受けれることになったらしいのだ。
「たく…奈瀬の奴〜」
渋い顔の和谷に、進藤が唇を尖らせながら
「でも、ショーがねージャン。オレ達棋士だしさ。それに、代わりの女の子が劇始まるまでにはくるんだろ?」
奈瀬が、急に駄目になった代わり…ということで、代役を頼んでおいてくれたらしい。
「だけど、一度も練習してねーのに。」
まだ、ブツブツ言っている和谷に、オレは進藤と眼を一瞬交わす。
(仕方ない奴だな?)
進藤の眼もそういっているようだった。
和谷は…派手な容姿とは裏腹に、とても真っ直ぐで、自分が良しとしないものには、とことん拘り続けるところがある。
そこが和谷のいい面でもあり、悪い面でもある…とは思いながらも。
(プロになっても…おとなになっても…)
困った奴…と思いながらも、ちっとも変わらないそんな気心知れた年下の友人の存在が有難い。俺はおどけた様に笑いながら、和谷をたたせる。
「まぁ、どうせ奈瀬とだって一度しか練習してないんだし、変わらないさ。進藤のほうが完璧なんだから、何とかなるだろ?」
俺がそう言って、横で困ったようにたっていた進藤に顔を向けると、奴は急に矛先が自分に向いたことに驚いたように眼をまるくする。
「えー、ひどいよ。和泉さん。」
軽くこぶしを作って、頬を膨らませる進藤こそ、院生の頃とは雰囲気も…見た目も変わってしまった気がするが
(それでも、変わらないんだよな?)
パンパンに膨らまされた頬をみて、俺はまた笑った。
(いつまでも、こうやってお互いに勉強しあえる仲間と…強くなっていきたい。)
俺は、劇の準備をするべく立ち上がった和谷と、俺たちを少し前から振り返って待っている進藤の背中を見ながらそう思った。
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