★雨のち晴れ3★


ゆらゆらゆれるような感覚にヒカルはきつく目を閉じる。
昼間何度か電話がかかってきた。

全てを無視して泣き続けて、頭が痛い。
少し脱水症状かもしれない…とひとりごちる。

一緒に住んでいるアキラが、帰ってきたらうるさいだろうなと、そう思うと知らず微笑が浮かぶ。

ヒカルはアキラが好きだった。

その事をきっとアキラは知らない。
ヒカルは、アキラに好きだと告げたことがない。

だからきっと、ヒカルとキスをするとき。
ヒカルをベットに横たえるとき。

少し緊張した面持ちで、一瞬ヒカルを見るのだ。
その事にヒカルは気づきながらも、アキラに何も言えなかった。

もし彼に思いを返したら……

(きっと俺、絶対お前と離れられなくなる…)

男同士の恋。

それが普通の事ではない事。周囲に後ろ指を指さされる事だということを、ヒカルは知っている。
自分はいい。
一人っ子だが、守る家ではない。
親には申し訳ないが、佐為を失ったときから…いや、佐為と出会ったときから、自分は確実に周囲とは違った存在だとヒカルは認識していた。
自分の短気にも、甘えのような苛立ちにも自分勝手さにも、きついことを言いながらも笑顔で付き合ってくれた囲碁幽霊。
その居心地の良さと同じ空気をくれる人をヒカルは一人しかしらない。

(だから…きっと、家を守る…という事には貢献できないだろうな。)

とぼんやりと以前から思っていた。
何もかもあきらめてしまった様な一時を知っている両親は、ただ今元気に過ごしていることだけでもよしと…嬉々として、自分の活躍を見守ってくれる。
その事に申し訳ないと思いつつも、ヒカルはこの先、自分と生活できるのは…自分がその存在に耐えられる人は、アキラしかいないと分かっていた。

でも、それはアキラに伝えることはできない。

アキラは、囲碁界のサラブレットで、今までの人生の中において、汚点などひとつもない人間。

そんなアキラが自分を好きだと言ったことも、キスをしてきたことも、自分を押し倒してきたことも…というより、そのやり方を知っていたことも。
全て、ヒカルにとっては驚きで…そして喜びであった。

自分にとっての唯一の人が自分を求めてくれて嬉しくない人間がいるだろうか?

でも、ヒカルはアキラに自分も同じだと…伝えることが出来なかった。

まっすぐな彼は、ヒカルの想いを知れば、自分達の関係を隠すことをなくすだろうと…、ヒカルの中の冷静な自分が囁く。
彼の碁が奪われるかもしれない…。あの力強くて美しい碁が…。
周囲の馬鹿らしい常識と嫌らしい目によって、汚されるかもしれない。

今はまだ若い二人だが、もう少し年をとれば、やれ結婚だ。
やれ跡継ぎだ…と、うるさくなるのは目に見えている。

断っているらしいが、すでにそういった話がアキラに舞い込んでいることも、噂で耳に入ってくるぐらいだ。
アキラはそういったことに関しては、絶対にヒカルには告げない。

それでも、刻一刻と、この二人だけの時間が終わりへと向かっているとヒカルは思っていた。

(言っちまったら、もう塔矢を逃がしてやれない…)

ヒカルがヒカルの想いを伝えてしまえば、アキラは自分の輝かしい道を自分で閉じてしまう。
そうヒカルは思っていた。

(いつか離れ離れになって…それでも、碁盤で向き合えばきっと一つになれる…。)

そうは思っても、自分が思う以上にヒカルはアキラが好きだった。
そしてその存在に慣れていた。

でもヒカルはアキラを守りたかった。
彼の誇り。
彼の強さ。
彼の潔さ。
彼の美しさ。

全てがあわさってこそ、塔矢アキラ。

そんな彼を自分との関係で汚してはいけない。
彼には完璧がよく似合うから…。

だから彼を守りたかった。
それが独りよがりなことだとは、ヒカルは気づかなかった。

佐為を守れなかった自分を攻めた。
愛しい人と永遠に離れ離れになるぐらいなら、
遠くから見つめるだけでもいい。
だから、いつか二人は別れるのだ。
そうヒカルは決めていた。

そして、二人のリミットを心の端に感じる。
いつだって。
その気持ちが、知らず知らず佐為を思って泣くことに逃げていることにヒカルは気づかなかった。
そして…小さく彼を呼んだ。

「佐為…」
と。

そのとき、大きく扉が開いた。
ヒカルが、涙の乾かぬ顔のまま扉のほうを向く。

「塔矢…」

そこには、今まで見たどの顔よりも厳しい表情をしたアキラがたっていた。

「進藤…」

うなるような声に、思わず体を引いてしまう。

「今、何って言ったの?」

なんの感情も感じられないようなアキラの声。
引いた体など何の意味も持たないほど、近くにアキラはやってくるとヒカルにのしかかる様にしてもう一度

「今誰を呼んだ?」

「塔矢…なに?」

今まで見たこともないような彼に、恐怖すら覚える。
いや、幼かったころ自分を他校というのに追いかけてきた彼はこんな顔をしていた。

「何?じゃない!!」

怒鳴られて、ヒカルは首をすくめる。

「SAIは君のなに?君がいつか…と言っていたのは…もう一人の君のなぞは、やはりSAIなの?」

ヒカルの息が止まる。

(聞かれた…)

目を見開いたままのヒカルにアキラは怒りと悲しみが襲ってくる。
それまで彼を逃がさないように掴んでいた手を乱暴に投げ捨てると、そのまま顔を伏せる。
いきなり手を放されて、ヒカルは突然に起こったことに動揺して動けなかった。
投げ出された手を胸元に持ってきて目を閉じる。

「塔矢…」
呼びかけても、返事はない。

足のそこから恐怖が訪れる。
力いっぱい叩きけられたことではない。

(佐為のこと聞かれた…)

佐為を想って泣いていたことに気づかれた。

プライドの高い塔矢がそんな自分を許すはずがない。

(終わるんだ…)

そう思うと、体中が冷たくなって知らず知らず泣けてきた。

声に出さずに涙を流していると、

「ウッ…ウッ…」

苦しそうな嗚咽が聞こえる。
始め自分の声かと思ったが、涙でかすむ目をあけると、自分の横で顔を伏せたアキラの体が細かく震えている。

「塔矢…」

驚いて、ヒカルはアキラの震える肩に手を置く。

それも顔を上げることなくアキラは嗚咽をもらした。

 

 

 

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